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ぴかろんの日常

ぴかろんの日常

リレー企画 286

困った男  ぴかろん

ドアを開けると脱衣カゴにテジュンの服が丸まっていた
ガラス扉の向こうから勢いのある水音が聞こえる
テジュンが泣いているんじゃないかと思い、俺は急いで服を脱いだ
乱暴にドアを開け、頭からシャワーを浴びているテジュンの背中に抱きついた

「な…。だれ…」
「…俺に決まってるだろ?他に誰が裸のお前に抱きつくのさ!」
「…。ラブとか…」
「ばか!」
「…。ヨンナムを慰めてやればいいのに…」
「テジュン」
「…。慰めたいんだろ?チョンエさんに放り出されてぐちゃぐちゃになってる男を。お前の大好物じゃないか」

テジュンの皮肉な口調は俺に甘えている証拠なんだ
拗ねて俺から離れようとする、テジュンはそんな『子供』なんだ…
それが解らずに何度失敗しただろう
大人の顔をしてても、テジュンは誰かに甘えたくてしょうがないんだ…

「テジュン」
「僕に気を遣わなくていいよ、お前の気持ち、一番に考えてやるから。頭洗うから離れろ」

胸元に回した俺の腕を外し、テジュンは俺を見ないまま、ボトルの液体を髪に擦り付けた
泡立たせた髪を一心不乱に洗っている
背中を伝う湯やシャボンにはお前を抱きしめられないんだ
俺はテジュンの正面に立って、テジュンの首に巻きつき、キスをした

「…ん…な…。なんだよこんな…。ん…」

離れようとするテジュンの背中に腕を回して引き寄せた
シャワーの雨の中でテジュンは俺に応え始めた
出会った頃を思い出す
俺はテジュンに夢中で片時も離れていたくなかった
テジュンもそれは同じで、休憩時間になると息を切らせながら俺のいるところにやってきた
俺はお前を甘えさせてやっただろうか?
俺が甘えるばかりで、お前、しんどかったんじゃないのか?
テジュンの唇が俺から離れ、シャワーの雨に打たれる
目を閉じたままテジュンは呟く

「…ヨンナムがあんまりチョンエさんに夢中すぎて寂しくなったのか?それで僕に慰めてほしくなった?」

震える唇から震える声が聞こえた

「ふ…。…。待ってろよ…。僕の部屋でたっぷりと慰めてや…。…」

震える声が途中で止まった
この機を逃すものかと俺は急いで言葉を繋いだ

「俺が抱きしめたいのはお前だよ、テジュン」
「…」
「ヨンナムさんがチョンエに夢中だからじゃない。ここに着いてからずっと、お前から目が離せなかった。今もお前が泣いてるんじゃないかと思った」
「…。泣いて…ないよ…」
「俺はお前が好きなんだ。泣くんなら俺の胸で泣いてくれ」
「…イナ?」
「俺はお前が嫌がってるのにここに来た。お前も俺に我儘言っていいんだ」
「…。ふ…。何…」
「俺の前では大人ぶらなくていい」
「何をお前、生意気なこと…」
「ぶつけてくれよ、お前の気持ち」
「…」
「喧嘩になったっていい。昨日そう言ったろ?」
「…。じゃ…」
「うん」
「洗いっこしよう」
「は?」
「…背中流し合いっこしよう」
「…」
「向こう向けよ」
「え?」

くるりと体を反転させられ、腕を掴まれた

「テジュン?」
「…派手に残ってるな…痕」
「ん。皆に見られちゃった」
「え?」
「みんな、テジュンの吸引力は凄いって言ってた」
「…。元はギョンジンが」
「お前が付け直してくれたんじゃん」
「…」
「いいんだよ、どっちでも」

俺の肩に頭を乗せたテジュンは、深く息を吐いた

「お前っていつもだ…突然、成長する…。僕、置いてきぼりかよ」
「テジュンだって急にかっこよくなったじゃん」
「…。ヨンナムに会いたいっていうお前にまた腹が立った僕のどこが?それを怒ってるって言えない僕のどこがかっこいい?」
「今言えたからいいじゃん」
「よくない。お前はちゃんと気持ち言ったのに…。昨日の約束守ってくれたのに…。僕は…」
「それでもかっこよかったんだ、テジュンは」
「…」
「背中流してくれるんだろ?」

テジュンはいきなり俺の首の後ろに噛み付いた
くすぐったくて首をすくめた

「…大好物に心を動かされなかったの?」
「大好物って?」
「…傷ついて泣いてるオトコ」
「ああ。心動かされたよ」
「…じゃ、なんでこっちに来た?あっちで可愛らしいヨンナムを励ましてやればいいじゃないか。得意だろ、お前。ソクもギョンジンもそれでお前に落ちた」
「落ちてねぇよ」
「…。ヨンナム、ほっといていいのか?気にならないのか?」
「ギョンジンに任せたもん。大丈夫だよ」
「…。大好物なのに?」
「だからその『大好物』のところに来たんじゃん!わかんないの?」
「…。僕?」
「そうだよ」

後ろを振り向くとテジュンはとっさに顔を伏せた
俺はその顔を両手で包んで上を向かせた

「傷ついて泣いてる大好物がここにいる」
「泣いてなんか…。それに傷ついてなんか…」
「大嘘つきで大人ぶって困ったヤツ。こんなに目が赤いのに」
「これは…シャンプーが目に…」
「すっげぇ意地っ張りだしな」
「…イナ…」
「ヨンナムさんじゃないんだ、俺が抱きしめたいのは…」

さっき言ったと同じ事をもう一度、赤い目を見ながら告げた
その目から流れ落ちるのはシャワーの湯なのか涙なのか
どっちだっていい
俺はテジュンといたい
テジュンの顔がくしゃくしゃになり、それから躊躇うように俺の唇を捉えた


親愛なる人々   ぴかろん

*****

「えっと…とりあえず電話の前に移動しましょうか」
「…」

僕の指示に従ってトボトボと歩くヨンナムさんは、確かに可愛いかもしれない
意気消沈しているのは、イナに突き放されたからだろう
さっきまで『チョンエ、チョンエ』と泣き喚いていたのに、今起こった出来事を信じられないといった風に、ヨンナムさんはぼぅっとしていた

「わかります」
「え?なにが?」
「彼女に捨てられた悲しさとイナに突き放された寂しさと」
「す…捨てられてなんかいない!」
「でもチョンエさん、電話もなく済州島に帰っちゃったんでしょ?それは一種の『捨てられた』状態ですよ、加えてイナの冷たい態度。たまらないですよね、解ります」

いささか冷ややかに僕は言った
ヨンナムさんはぼんやりしたまま答えた

「…イナ、きっと呆れたんだ…」
「違いますよ。単に好きってだけですよ、貴方じゃなくテジュンさんを」
「…。僕を…好きだって言ってたのに…」
「…寂しいでしょ?解ります。結局あいつはテジュンさんを選ぶんです。あの二人のせいで、僕も寂しい気持ちになったことあるから…とっても解ります」
「…そう…」
「けどヨンナムさんは恵まれてます。イナは貴方に対して本気だったんだから。それを受け入れられなかったのは貴方なんだし、寂しさを感じるのは贅沢だな」
「…贅沢…だよね…」
「解ってるんだ」

はぁっと大きな溜息をつき、ヨンナムさんは目を閉じた
僕は『女性問題』についてヨンナムさんに解説なり指導なりしろと頼まれたのではなかったか?
いつの間にか『イナに関わったオトコの心理』の分析を述べているぞ…
俯いた横顔はテジュンさんそっくりだ
長くて濃い睫毛とデカい鼻
違うところがあるとすれば、恋愛に慣れていないっぽいところかなぁ…
でもあの人の従兄弟なんだし…本気出せばこの人だって…
だよな。イナが恋焦がれたんだもの、色っぽくないはずがない
そんな事を考えていたら、さっきの様子が頭に浮かんだ
微笑ましくもあり羨ましくもあり、それからちょっとだけ寂しくもある二人の光景
寂しいと感じるのは、僕の気持ちのせいかもしれないけど…

「いいですね、ヨンナムさんにはテジュンさんがいて。本当の兄弟みたいな貴方達がとっても羨ましいです、僕…」
「兄弟…か…」
「あんな風に甘えられる貴方が羨ましい。あんな風に貴方を甘えさせられるテジュンさんも羨ましい。僕は…だめだな、オロオロしちゃって…」
「イナがね」
「はい」
「僕を楽にしてくれた」
「…はい…」
「人に甘えてもいいんだって教えてくれた…」
「…」
「甘えてみたらテジュンは…優しかった。イナがあいつから離れられないわけがわかったよ」
「…ええ…」
「…テジュンはいいオトコだよ…」
「…。それも、解ってる?」
「何年アイツと一緒にいると思ってるの?アイツの男っぷりは僕が一番知ってるよ。多分イナよりもずっとよく知ってる…」
「…ふぅん…。じゃ、ヨンナムさんはテジュンさんをイナに盗られちゃったってヤキモチ妬いてるのかな?」
「…そういうわけじゃないけど…」
「テジュンさんは浮気するけどイナが命。イナは結局テジュンさん一本ですからねぇ」
「…寂しい。今までなら絶対こんな…」

ヨンナムさんは言葉を止めて唾を呑み込んだ
彼の気持ちが手に取るように解った

僕もイナに解されたんです
優しくしてくれたから、僕はイナに心を許して甘えたんです
僕を気にかけてくれました
好きだとも言ってくれました
でもイナにはテジュンさんがいた
あの二人の間には、どうしても入り込めなかった
そんな時僕はラブに出会い、救われました
そしてイナは僕から離れて行った…
貴方と同じですヨンナムさん

僕がそう言うと、同じじゃないよ、君にはラブ君がいたけど僕には…とまた言葉を止めた

「チョンエさんがいるじゃないですか」
「…だって…僕に何も言わずに…済州島に帰っちゃったんだよ…電話もくれない…」

言葉尻が涙声になっていた

「ねぇ…どうして帰っちゃったんだろう…」
「さあ。気まぐれでしょうかねぇ」
「…。気まぐれで僕と付き合うって言ったのかな…。はあ…こんな時にこそ、イナに傍にいてほしいのに…」
「きっとね、イナの堪が働いたんですよ、今が潮時だって」
「潮時?」
「ヨンナムさんにはチョンエさんがいてくれる。自分が入り込む余地はないって気づいたんだきっと」
「…あるよ…あるのに…」
「貴方が言ってる場所じゃないんです、イナが欲しかったのは…」
「…」

ヨンナムさんが用意したのは『友達』もしくは『親友』って場所なんだろうな
イナを『恋人』には、できなかったもの…

「あいつ、本当に貴方のことが好きで、どうしても諦められなくて苦しんでました。知ってますか?そのこと」
「…なんとなく…」
「それって心地いいでしょう?」
「…」
「本命はチョンエさんだけど、自分を慕ってくれるヤツがいるってのは嬉しいものです。解ります」
「…。そういう経験あるの?」
「十数回あります」
「酷い男だな」
「貴方もです」
「…」
「でも解ります。イナにそうしたくなるの。大丈夫ですよ。イナは急に悟りますから」
「え?」
「悟ったら飛んでっちゃいますから」
「…」
「普通そうやって飛んで行かれたら、それまで相手に辛い思いさせていい気分だった人は虚無感を味わうもんです。でも、イナは見極めてる」
「なにを?」
「時期を」
「時期?」
「ごさいじの堪で離れるべき時を無意識に見極めて行動するんです」
「…そんな特殊能力がイナに?」
「ふ…ふふ…はは…。そうですね…でも本とですよ。ソクさんにスヒョク君が、僕にラブがいてくれるって解ってから、アイツは涙目になりながらテジュンさんの元へ戻ってった。貴方の場合もそうです。チョンエさんが貴方の傍にいることを感じ取って涙目で居るべき場所へ戻っていった」
「…」
「どうですか?僕の推論。当たってると思いません?」
「推論?」

半分はハッタリだ
でも半分は『真実』だろう…多分…

思いつくまま僕は話した
口から出まかせというわけではない
僕が漠然と感じていた、あの、特別なごさいじに対する不思議を、ヨンナムさんの気持ちを客観視することで確認した…ってのは大げさかな…

かかってこないチョンエさんからの電話をしばし忘れたヨンナムさんは、床に視線を落として考え込んでいた
廊下の向こうの方で、ドアの開閉音が聞こえ、ペタペタという足音と笑い声と、それからなんだか湿った吸着音…それは気のせいだったかもしれない…がした

「どうだ?ヨンナム、電話かかってきたか?」

イナの肩を抱きながら、顔を綻ばせたテジュンさんが、居間にやってきた
ゆっくり顔を上げたヨンナムさんは、チラリとイナに視線をやり、それから徐々に顔をくしゃくしゃにして、湯上りの色従兄弟に抱きついた

「ぅおっ…おいって…。まだかかってこないの?ん?」

パパだ
優しそうなパパ…

…チフン…

二人の様子を見ていたら、息子のチフンを思い出してしまった
センチメンタルな僕の傍に勘のいいごさいじがやって来た

「どしたの?ギョンジン」
「…いや…」
「隠すなよ、俺とお前の仲だろ?」

いたずらっぽく、でも心配そうにイナが僕の顔を覗き込んだ
そんな風にされると僕はつい…

「ぐえ」

抱きしめてしまうじゃないか…

「こらっギョンジン!やめないか!…ヨンナムもっ、ちっと、苦しいよっ」

ヨンナムさんと僕は、それぞれ違う理由で泣いていた

いつか…いつか会いに行きたい…
物陰からこっそり見るだけでもいい…
どうか幸せでいてほしい…
僕はイナの肩でそんな事を泣き喚いた
イナは僕の言葉の半分も聞き取れなかったようだが、よしよしと言いながら僕の背中をさすり続けてくれた

ヨンナムさんはテジュンさんに縋りながら、お前が一緒に居てくれないから僕は電話をしそびれただの、どうしてチョンエを引き留めてくれなかったのかだの、我儘放題に文句を言い続けた

その時
ヨンナムさんの手の中の携帯電話が鳴った
テジュンさんから飛び退いたヨンナムさんは、バタバタと廊下に出ながら電話を取った

「チョンエ?うん、うんうん、うん…。うん…」

残った僕達は、ヨンナムさんの落ち着いた話しぶりにホッとするやら拍子抜けするやらで、お互いの顔を見合ってくすくす笑った

「どうやら安泰のようだな」
「そうだね」
「イナとテジュンさんも、安泰だね?」
「いや、まだ解らない」
「そうだよギョンジン。俺達はいつ何時、ホンネをぶつけ合って喧嘩しだすかわからない、デンジャラスな仲なんだからな!」
「イナ…デンジャラスなのか?僕達は」
「まあね」

ニヤリと笑ったイナの顔
今日は二十五歳ぐらいに見える

「いなっ!チョンエがねっ…。…。くふ…。ぐふっ…。けひーっ」

電話を終えたヨンナムさんは、打ち上げに成功したロケット並みにハイテンションだった

「いいことあったの?」
「ぐふ…。今度済州島に来た時はぐふ…げひっ…あ…。くふふん、言っちゃいけないんだった。くふふん…いひ…いひんいひっ。けひーっああん…。(>▽<)ぎゃひーん」
「…あんまり興奮すると鼻血が出ますよ」
「ギョンジン君、キミも頑張りたまえっ。けひーっくひっけひっ…あ…」
「ヨンナムさんっ!」バタバタバタ
「言わんこっちゃ無い。鼻血だ!」バタバタバタ

イナと僕は、浮かれまくっている鼻血ヨンナムさんの世話を焼きあった

「…。お前らって、ほんとに面倒見がいいな!」

離れたところからテジュンさんが呟いた

「面倒見がいいのはテジュンだろう?」

イナに言われて頭を掻き、意外とそうかもしれん…なんて言うテジュンさんは、とても幸せそうに見えた
僕も…
帰るべき場所に戻らなきゃ…甘えさせてくれるヒトに思いっきり甘えたい…
体中がきゅうんと切なくなって、僕はすぐ横にいたイナにぐりぐりと頭を擦りつけた

「いて!痛いよ石頭ッ!」
「酷い!」
「寄って来るなよ!今はヨンナムさんを慰めてるのにっ」
「あれっ?お前まだヨンナムさんに気があるの?」

こそこそと囁くと、イナは僕を睨み付け、一拍おいてから呟いた

「…もうっ」

長い迷路から抜け出そうとしている瞳が一瞬躊躇って揺れた
それはほんの一瞬で、『二十五歳ぐらいのイナ』は、やはり急に悟ったらしく、うふふ、うふふん…と可笑しそうに鼻を鳴らした
僕はその笑顔を見て何故だかホッとし、そしてもう一度イナにくっついた

「僕も同じように慰めてよぉ…」
「うっせぇなぁもう。はいはい!」

甘えるヨンナムさんと甘える僕を同時に抱き寄せ、イナはよかったなと囁いた

「僕も入れろぉ~」

テジュンさんまでもがイナに突進してきて、僕達4人は床に転がった

「お…重いぃ…」

イナに跨ったテジュンさんが身を起こして僕達の塊を見ている

「…。ソクも呼ぶべきだったな」
「へ?」
「…。お前に癒された奴らが寄ってたかってお前を…」
「は?」

ブツブツ言っているテジュンさんの顔を見ると、瞳がアヤシゲに光っていた
きっととてつもなく〇〇い想像をしているに違いない。困ったジジイだ!ふんっ

イナは優しい微笑みを浮かべていた
ごさいじなのに、時々たまらなく甘えたくなる(今現在は『二十五歳ぐらい』だけどね)
ようやくふっ切れたのかな、ヨンナムさんのこと…
僕も頑張らなきゃ…

「ありがと、イナ、いろいろ…」

言葉に出した途端、涙がこみ上げてきた
イナは眉毛を上げて微笑み、それから僕の唇にキスをした

「はっ」「ひっ」

テジュンさんとヨンナムさんが息を呑み、それからテジュンさんが、やめろよっこんなえろ男にっ!と叫んだ
ヨンナムさんは小さな声で、いいな…と呟いた
唇を離したイナは、僕にもう一度微笑んで言った

「俺、頑張ったろ?」
「…うん…」
「お前も頑張れよ」
「…うん…」

ごさいじが、学校の先生のような顔で僕の頬を撫でた
そんなイナの体を、ヨンナムさんは遠慮がちに揺さぶる

「え?なに、ヨンナムさん」
「…。ぼくも…」
「え?」
「…。キスしたい…」
「「なにっ?!」」

イナに跨っているテジュンさんはヨンナムさんを睨みつけ、僕は僕でなんて無神経なオッサンなんだと反発を感じた
だけどイナはくすくす笑って、じゃあ貴方からしてください、なんて答えた
ヨンナムさんはおずおずとイナにキスをした
テジュンさんに、いいのか?と目で合図してみたが、気の毒なジジイは二人のキスを凝視したまま固まっている

「イナ…」
「ん?」
「…ありがとう、今まで、いろんなこと…」
「…俺のほうこそ…ありがと…ヨンナムさん…」

寝転がったままヨンナムさんと軽いハグをした後、イナは固まっているテジュンさんをじっと見つめた
そして寝転がったまま、テジュンさんに向かって両手を伸ばした
テジュンさんの喉が動き、固まっていた体をぎくしゃくと始動させる
イナは幸せそうに微笑んで、テジュンさんの首に巻きつく
引き寄せられたテジュンさんは、イナの唇を躊躇いながら捉え、それから先は見てられないほど濃厚な…(_ _ ;)

ヨンナムさんと僕はイナとジジイから離れ、顔を見合わせてふっと溜息をついた
それから二人で肩を寄せ合い、ジジイのテクを観察した

「思うに『躊躇いながら』ってトコがポイントですよね」
「フェィントをかける?」
「そう!『いいのかな…いいの?でも、だってやっぱり…好きなんだもーん』って気持ちを一瞬で現してる」
「ふむふむ。よし。今度実行してみよう…」
「…」
「ん?」
「よかったですね、電話」
「…てへ…」
「なんでさっきイナにキスしたんです?離れてったから寂しくて?」
「…。それもあるけど、感謝の気持ちを込めて…。…。でへへ。…ホントは、ただ、したかったから」
「ふ」
「ふはは」
「で、躊躇いながら仕掛ける時、口の開け方が重要です」
「ほう…」
「眉根は寄せた方が効果的」
「うんうん」
「そして相手の唇を見つめ、口を少しだけ開け、ちょっと乗り出してちょいと引く。そして切なげな顔で一気にかぷ」
「はいはいはい」

僕は聞かれてもいないのに、ヨンナムさんにジジイテクを解説した
ジジイはしつこくごさいじにくっついていた
なにかごそごそ呟いたと思ったら、ごさいじがジジイに平手を喰らわせた

「どうしたんだ?」
「えろじじい!」
「だって我慢できないもんっ!」
「絶対いやだ!ここで雑魚寝する!」
「そんなのっ!僕は僕の僕をどうしたらいいのさ!」
「知るかっ!ぶぁか!」

涙目のイナがジジイを批難している
どうせジジイが『せくはら発言』をしたのだろう
二人の痴話喧嘩を聞きながら、ああ、ようやく二人は落ち着いたんだな…と思った


暖かい場所5  あしばんさん

ここです、と言ってタクシーを降りたものの
そこはスヒョンちのひと区画手前だった
もう、酔っぱらい!
ってブリブリ怒りながらも、ラブ君は僕の腰を支えて歩き出す
支えてって言っても、彼の足どりもかなりアヤシかったけど

夜の空は晴れていて雲もなさそうなのに、月は見えず
ただ冷えた空気だけが真っ直ぐに降りて来る
静まり返った深夜の高級住宅街に響くのは
僕らの乾いた足音だけだった

なんて言葉にできたのは後からのことで
その時は、地面も自分もラブ君もグラグラしてた

「ねぇ…ラブぅ…」
「はいはい」
「どーしてさぁ…金持ちって静かなんだろねぇ」
「静か?」
「僕がガキの頃住んでたとこなんて…もう近所で喧嘩とかしょっちゅうでさ」
「賑やかだったんだ」
「賑やかなんてもんじゃないね、もう騒音に近いもんね、まぁ僕も…」
「何?」
「弟ともよく喧嘩した、あいつ手が早くてさぁ」
「そう…」
「えと…兄弟の話って地雷?」
「そういうストレートな気の遣い方やめてよね」
「怒られちった」
「バカ」
「あ…ねぇ…バカって言うの、お宅の家系の伝統?」
「何それ」
「だってパク・ウソクもよく言うよ、それもマジな打ち合わせ中にだよ」
「ドンジュンさんがバカなこと言うからでしょ」
「そっかぁ~きゃはは」
「もうっ酔っぱらい!」

グラグラだけど、ラブ君が思ってる程の酩酊じゃない
ただこうしてると何だかふわふわとして…とても気持ちがよかった
心配してもらうのって悪くない
って…相手が違うだろってことはわかってたけど

「ね…ドンジュンさん」
「ん」
「弟って…かわいいもん?」
「かわいいってったって、うちの弟はデカいからさぁ」
「真面目に聞いてるんだってば!」
「わかってるよ」
「ふん」
「僕のとこはさぁ…親父が僕にすんごい期待かけて…弟は放っておかれたから…
 僕は…いつもそのふたりの間でウロウロしてた」

頑張らなくちゃと思う気持ちと
頑張ると、もっと家族がバラバラになっちゃうみたいで
自分の夢と現実のバランスをとるのがキツかったな

「できるだけのこと、やってきたつもりだけどさ…」
「わかってるよ」
「でも…お兄ちゃん…は…そうね…けっこう大変かな」
「…」
「無理もしちゃたかなぁ…」
「ドンジュンさん…」
「ああ…結局…何を創り上げてきたのか…わかんないよね…」
「そんな…いっぱいあるじゃない、いろんなもの」
「ううん…」

突如、スヒョンに会った時の親父の顔が浮かんだ

あんなに哀しい想いをさせたのに
それに見合うだけの代価を支払えぬままで
僕はあの場から一歩も前に進んじゃいない
それどころか…
ここでいいんだろうかって…立ってる位置の確認ばっかしてる

ふわふわした気分がいきなり落っこちて行く


そろそろスヒョンちに辿り着きそうな予感がして、僕は立ち止まった
渦巻く頭が急に会いたくなくないって言い出した

「どうしたの」
「やっぱやめる」
「冗談じゃないよ、せっかく来たのに」
「だって会いたくないもん」
「何意地張ってんのさ、バカじゃないの」
「意地じゃない」
「スヒョンさん心配してるかもしんないでしょ」
「心配なんてするわけないじゃん」

ラブ君と出掛けるのも、飲みに行ったのも知らせてない
勿論、スヒョンからも連絡はない
僕がどこに行こうと…あいつは気にしたりしない
僕が拒めば…きっと…ある地点からこっちには来ない

「そういう人だから…」
「は?何?」
「やっぱ帰ろう」
「帰るってどこにさ、ここまで来て何言ってるの」
「僕の寮はどうよ」
「心配させてやるってわけ?」
「そんなんじゃないよ」
「だって変じゃないそんなの、酔っぱらい!」
「何怒ってんのさ!酔っぱらいはどっちよ」
「恩知らず!」
「おせっかい!」

「おまえたち、そこで何ゴチャゴチャ言ってるの」

ハッとして側にあった車の屋根ごしに仰ぎ見る
半分開けたドアの間に、腕組みをして寄りかかってるのは
見覚えのあり過ぎるシルエット

「近所から苦情が出る前に入ってもらおうかな」

すっかり足に根が生えたみたいに動かない僕の腕を
もう逃げられないもんね、って顔のラブ君が掴み
数段の階段をグイグイと引っぱり上げて
遠慮なしにスヒョンの横を通って部屋に引きずり込んだ

「もうっどうにかしてよ!この酔っぱらいをさ!」

はぁはぁ息を切らした彼が怒鳴って
肩をすくめたスヒョンがドアを閉じる
でも、部屋の中の暖かい空気に包まれて座り込みそうになった僕を
支えてくれたのはやっぱりラブ君だった

「ずいぶん派手に飲んだみたいだね」
「そんなこ…」
「そう、ドンジュンさんってば女の子に取り囲まれて大変だったんだから」
「ラブ君、適当なこと言わ…」
「ほら!証拠だってあるんだから」

僕をスーパーの紙袋かなんかみたいに無造作に抱えたラブ君が
いきなりポケットから携帯を出したかと思うと、ひとつふたつ操作して
ドアに寄りかかったスヒョンの方に向かって差し出した

一瞬目を丸くして見入ったスヒョンが、可笑しそうに俯く

「ちっちょっと!何なのさ!」

むしり取った携帯の画面には
あのオカマっぽい店長とホッペをくっつけて笑ってる僕
反対側からは店の女の子ふたりが争うようにキスをしようとしてる

全く覚えてない
確かに後半酔っぱらった頃に女の子たちが座ってたけど
こんなことしてたなんて…こんなもの撮られたなんて…
充分混乱した後に、仕組まれたのかと思い当たって
ようやく、横のラブ君を睨んだ
勿論、その上出来の冗談に文句を言うつもりだった

でも、携帯を仕舞いながら怖い顔でスヒョンを睨みつけてるラブ君の目は
決してウケを狙ってるものじゃないってわかる

「ドンジュンさんだってモテるんだからね」
「ラブ君、もう何やっ…」
「あんまり放っておくと、取られちゃうよ」
「ラっ…」
「まぁこの程度の女の子じゃ歯が立たないだろうけど?」

僕は頭が混乱して「そんな写真じゃ証拠になんないでしょっ」とか
ワケわかんないことを口走ってた
勿論、ラブ君もスヒョンも聞いちゃいない

「ふたりとも、座って水でも飲んだらどう?」
「聞いてる?取られちゃうって言ったんだよ?」
「やめてよ、何言ってんのさっ」
「俺の言ってる意味わかる?」
「今ここで、どうしてもその話をしたいのか?」
「ねぇ、どう思うの?」
「具体的な候補でも?」
「仕事のできる超VIPとかね」

ラブ君の言葉に、僕は慌てて彼の腕を掴んだ

慌てたのは、彼がいきなりそんなことを口にしたからじゃない
これ以上ないくらいに抽象化された
と言うより、あまりにも一般的でしかないその言葉から
僕の脳が、当然のようにある男を想い浮かべたからだ

「ラブ君!」
「あの人なら孤高の天使の向こうを張れるかもね」
「何ワケわかんないこと言ってんの!」
「何で慌ててるのさ」
「あっ…わててなんかないけど、勝手なこと言わないでよ」
「だって興味ありそうだったじゃない」
「それは…」
「それに、どうしても来るって言ったのドンジュンさんでしょ」
「そんなこと言いに来たんじゃないっ」
「何でよ、ドンジュンさん寂しそうな顔してたじゃない」
「そんなこと頼んでない」
「どうしてスヒョンさんの前だとそうなのさ」
「自分の気分を人にすり替えないでよっ」

思わず出たのだけど、絶対の確信をもって言った言葉
ムッとした目が僕を真っ直ぐに射抜く

「抱いてやってよ!もうっ焦れったい!」

力任せに放り出されてよろけた僕を
スヒョンの胸が支えた

「ドンジュンさんすっごく我慢してるんだからね、あなたわかってんの?」
「ラブく…」
「もう、やんなっちゃう」

すごく迷惑そうな表情を作ってるラブ君が
酷く寂しそうに見えるのは錯覚じゃないと思う

祭の楽屋でいつもひとりだった頃の「彼」は消えることなく
自分の中のどこか隅っこに膝を抱えて居るんだろう
どんなに前を向こうと歯を食いしばってても
気づくと足元を見てる僕と同じように

「で?…ラブ、君は?」
「は?」
「ラブシーンを観て行くか?」
「やっちょっと!スヒョン!何言ってんのさ!」
「どうする?」
「俺は…帰る…よ…」
「スヒョン!ダメだって!ラブ君だって…」
「車を呼ぼうか?」
「いい」
「やだ!帰っちゃダメだ!スヒョンは全然わかってない!」
「何を?」
「だから、僕たちがどんな気分でコンサート聴いて、どんな風に飲んで、どんな…」
「もういいよ、ドンジュンさん」
「よかない!」
「ゴメンネ…無理に連れて来ちゃって…でも見てらんなかった
 ドンジュンさんの想ってることがわかりすぎちゃってアタマに来る」
「ラ…」

俯いたまま、ちょっとだけ息を吸って歩き出したラブ君が
僕らの直ぐ横のドアノブに手を伸ばそうとした瞬間
スヒョンの右手に腕を掴まれた

「なん…ですか」

スヒョンを睨みつけるように振り返った彼の目は
今にも泣き出しそうに波うってる

「ばかだね…どうしてそうなの、おまえたちは」

僕の腰を抱いたまま、もう片側の腕がラブ君を引き寄せた

ラブ君は泣くのを我慢してる子供みたいな顔で
力に任せて、頑に動こうとはしなかったけれど…

じっと見つめてたスヒョンが、微かに微笑むと同時に
うなだれるように相手の肩に額を押しつけた


暖かい場所6  あしばんさん

すっかり僕の肩に顔を埋めたラブは
殆ど聞き取れない程の声で「ごめん」と言ったようだった
もう片側の僕の腕に収まっていたドンジュンは
そのラブの髪をクシャリとやった


まるで、指から離れた膨らましかけの風船
どこにスッ飛んで行くかわからないふたりが雪崩れ込んで来たのは
日付けが変わってずいぶん経った頃だ

ドアを開けてみた時の
僕の困惑をわかってもらえるだろうか
この静かな住宅街では珍しく人の争う声がしたかと思えば
モード雑誌から抜け出たような見知った顔が
口を尖らせたりふくれたりして小突き合っていたのだから


その殆ど冗談かとも受け取れる彼らの矛先が
その後、自分に向けられるだろうことは予想できたが
何とわかりやすい当たり方

ーあんまり放っておくと、取られちゃうよ!

ふくれっツラの方はいいとして
もう一方の風船の扱いにはいささか不慣れだ

「姫を、こんな時間にひとりで帰すわけにいかないでしょ?」
「…」
「それとも…ギョンジンに迎えに来てもらうか?」
「余計なことしないで」
「じゃあ、言うこと聞いてもらわなくちゃな」
「な…」
「今日は泊まって行くこと」
「…」
「ここでラブを追い出したらドンジュンも出て行きそうだし…でしょ?」

僕に寄りかかったままポヤンとしているドンジュンに水を向けると
彼は慌ててコクコクと頷いた

お邪魔じゃない?
ジャマなんかじゃないけど
けど?…いいの?
しつこいと噛みつくよ

そんな会話を目で交わしたかどうかはわからないが
ラブの顔が急に明るくなったのだけは確かだ
彼の表情は、どうかするとドンジュンよりもわかりやすい


「じゃあ、ふたりとも風呂にでも入ったらどう?」
「やった!ドンジュンさん一緒に入る?」
「やだ」
「何もしないってばぁ」
「僕は、風呂はひとりで入んの」
「ええっ?そうなの?スヒョンさんと一緒に入ったことないの?」
「…」
「へえ~つまんないね、スヒョンさん」

赤くなったドンジュンにニヤリと笑いかけたかと思うと
次の瞬間にはスルリと僕から離れて
革の上着を脱ぎながら洗面所と目論んだドアに向かうラブ

「服は後で持って行く」
「俺は裸のままでもいいんだけど」
「好きにしろ」
「あ、いいよ、俺が風呂入ってる間にナニかしても」
「2時間くらい入っててくれるつもり?」
「くふ…5分で出て来ちゃおう♪」

そこで追いかけて世話してやるのが
姫さまを引き止めた者としての礼儀だろうが
僕は、先ほどから軽くフラついている男を抱えて
ソファに引きずって行くのに手一杯だった


ソファにドサリと座ったふくれたは
差し出した冷たいミネラルウォーターを一気に飲み
幾度か深呼吸をして僕の肩に寄りかかった

胸元のピッシリと並んだ小さなボタンを緩めてやると
衣服に染みた微かな煙草の香りが鼻をくすぐる

「ああ…眠い…」
「おまえ、どれだけ飲んだの」
「わかんない…ママさんがじゃんじゃん注いでくれちゃって」
「ラブは案外平気そうじゃない」
「あいつ、飲み方うまいんだもん」
「楽しかった?」
「ん」
「マーラーはどうだった?」

その話を持ち出すと、トロンとしかかっていたドンジュンの目が
一瞬揺れるように開いて止まった


「知ってた…の?」
「おまえたちが出掛けたってこと、ギャラリーたちが黙ってると思う?」
「そか…そうだよね…」
「事務室でウロついてたのは、僕を誘いたかったから?」
「…」
「声を掛けにくかった?」
「ん…」
「ラブじゃないけれど…どうしてそうなっちゃうんだろう、おまえは」
「わかんない…何か…ダメなんだ…」

すっかり充血した目を覗き込んでみれば
若干焦点の定まらない視線が潤んでいる

「おまえをそういう場所に誘ってやったこともないね」
「別に…いいよ…そんなの」
「で…どうだった?」
「スヒョンも…同じこと聞くんだ…」
「ん?」
「ううん…何でもないけど」
「ん?」
「どうって…会いたかった…すごく会いたかった」
「…」
「演奏の間…ずっとスヒョンのこと考えたて」
「そう…」

潤んだ目が近づき、空のグラスを手にしたままの腕が首に絡まると
しっとり濡れた柔らかい唇が暖かく吸いついて来た
舌が性急に奥の奥まで絡む
酔った時のこいつのくちづけはいつもこうだ

僕の首に抱きついたまま身体を捻って、膝の上に倒れ込みながらも
尚、息を忘れたような長いくちづけは続いた

先に唇を離したのは僕だった
…僕の中の容赦ない熱がまた湧き上がる前に

「あ~う…もう終わり~?」
「直ぐにラブが戻るでしょ」
「キスぐらいいいじゃん」
「それで済まなくなったらどうする」
「…」
「ん?何?」
「そう言ってくれるだけで嬉しい」
「ん?」
「僕…ちょっと…変なんだ」


そう言って、首に巻きつけていた腕を離したドンジュンは
腿の上にいい具合に頭を乗せ直した
髪を梳いてやると、僕の腹に頬をつけて目を閉じる

「僕は…おまえらしさを損ねさせてない?」
「なにソレ」
「おまえは…もっと自信を持てる男でしょ」
「くふ…ヘンなの」
「ドンジュン…」
「ん…」

グラスが、ソファからだらりと下がった片手から床に転がり
小さな円を描いて止まる

「おまえはいつも嫌がるけど…」
「…」
「一緒に暮らしてみない?」
「…」
「撮影が終わってから…少し広い所に移ってもいい」
「…」
「ドンジュン?」

ふと気づき、軽く頬に触れて確かめてみれば
ドンジュンは既に寝息を立てていた

せっかくのモデルのような服もクシャクシャで…
僕は、そのポカリと開いた無防備な口元を見ながら苦笑した



「やだ!ドンジュンさん寝ちゃったの?」

ソファの背中側から覗き込んだラブが
タオルで頭をゴシゴシ拭きながら素っ頓狂な声を上げた
濡れた肌には、ちゃっかりと僕の白いバスローブを羽織っている

「なんだぁ~飲み直そうと思ったのにぃ~」
「こいつが潰れるなんて、相当飲んだね」
「だって、女の子たちがみんなドンジュンさんに注ぐんだもん
 注がれたのを、また律儀に飲むんだもんなぁ…らしいでしょ?」
「ふふ」
「ビール貰っていい?冷蔵庫開けていい?」


僕の隣に腰を下ろしたラブは
膝の上のドンジュンの寝顔を覗き込んでからビールに口をつけた

「かわいい顔して寝ちゃって」
「ふふ」
「…気になる?」
「何が?」
「さっきの…超VIPってやつ」
「例の大株主のことでしょ?」
「へえ…わかってるんだ、会ったことある?」
「遠くから見かけたことはある」
「ふぅん…」

「で?」
「俺の従兄だよ、知ってる?」
「従兄?」
「何も聞いてないの?」
「ああ」
「一応僕の従兄、まぁいろいろ気を遣わせてると思うんだ…俺の家の絡みがあるから」

そんなことについて、ひと言も聞いていなかったことに
まるで何も感じなかったと言えば嘘になる
思い返してみれば、幾度か話そうとしたことはあったのかもしれない
しかし、きっと僕はそれどころではなかったろうし
こいつが無理にねじ込むわけもない

「あんまり関係ないだろうけど…いろんな意味で注意した方がいいとは思う
 何しろ俺の親戚だからさ」

ラブは、冗談とも本気ともとれる表情で鼻に皺を寄せた

「小さい頃から親で苦労してる人だし、悪い奴じゃないとは思うけどネ」
「今日のコンサートも彼の立案?」
「さぁ…かもね、何で?」
「いや…別に」

息を吸って、ラブがまともに僕を見る

「ね…もうちょっと側にいてあげなよ」
「ん?」
「ドンジュンさん…」
「…」
「好きな相手にさ…太刀打ちできない影があると…どうにもできないじゃない」
「…」
「自分にはどうにもできないから…待つしかないじゃない」
「ああ」
「わかっちゃうって辛いよね」
「そうだね」
「だから…何だか放っておけない、この人のこと」

ひとつため息をついたラブは
僕の膝の上で気持ち良さそうに寝ているドンジュンの髪を
くるくると巻き付けては離す

「ねぇ…チーフならわかるかなぁ」
「ん?」
「イナさんにあって…俺にないものって何だと思う?」
「何だそれ」
「いいからさぁ…何だと思う?」
「…」
「やっぱ…回し蹴り?」
「そこまでお子様な答えは思いつかないけれどね」

ラブは、なぜか「お子様だってよぉ~」と笑いながら
寝息を立てているドンジュンのデコに指をぐりぐりした

「わからないな」
「そう…そうだよね…」
「わかってるのは…逆もあるってことだけかな」
「え?」
「イナになくてラブにあるものも、あるってこと」
「…」

僕にしてみれば、ごく簡単な法則を口にしたに過ぎなかったが
ラブは少し驚いたような顔をして
両手で握っているビールの缶を見つめた

指の先で、紺色の銘柄の英文字をゆっくりなぞる

僕は、時折見せる彼の一人きりの世界は
薄いヴェールが張られた薄曇りの球のようだと思っている
その中に見える彼は
親にはぐれた少年にも、気高い青年のようにも見え…

そして、それは、突如現れて突如消える

再び僕を見た目は、心なしか柔らかさを含んでいた
少なくても、ほんの少し前に転がり込んで来た時よりは

「わかる?」
「…ん…何となく…」
「何となく?」
「ね…」
「ん?」
「キスしてくれる?」
「おやすみのキスならね」
「そういうのじゃなきゃだめ?」
「どうかな」

顎に指を添えて唇を重ねると
ラブは僕の首に腕を回して深いくちづけをしてきた
ビールの少し苦い香りに混ざって
ドンジュンよりも若干冷たい舌が直ぐに絡んで来る

僕は、膝のドンジュンが転がり落ちないように
片腕で支えながら、その蜜のような長いくちづけに応えた

途切れ途切れに入って来る彼の意識は
しっかり把握できるようなものではなかった

ーどうしてそうなの、おまえたちは
またそんな言葉が浮かんだのだけれど



どうにも起きないドンジュンの服を剥いで、パジャマに着替えさせる間
ラブは、パジャマのベティちゃん柄がどうのだの
もうちょっと教育し直せだのと、しきりに何かを喋っていた

「こんなの見て、よく勃つね」
「けっこういいものだけど?」
「ジジイたちってホントわかんない」


さっさとドンジュンのTシャツを着込んだラブは
ソファで寝ると言った僕を強硬に引き止め
結局、かなり大きめとは言え狭いベッドに3人

両脇からまとわりつくふたりは
左右対称の形で、寝返りも打たずに寝入っている

僕は、小さなライトの中ベッドヘッドに身体を預け
時折、ようやく静かになった風船たちを眺めながら
その日の撮影予定の台本に繰り返し目を通した


思えば
従兄という男の話を、もっと聞いてもよかったのかもしれない
針の先ほどであっても気になっていたことに
触れてもよかったのかもしれない

それきりにしてしまったのは
そのことに頓着せずとも済むと思っていたからなのか
済ませたいと思っていたからなのか

いずれにしろ

ほんの小さな分岐点を
間違えて選択したことに変わりはない


暖かい場所 番外編  あしばんさん

皆様、ご機嫌いかがでございましょうか
フェルディナンドにございます

本日は…それ…あの日のことをご報告せねばなりません
ドン様がラブ様と転がり込んでいらした日でございます


その日の天様は、残業後にご帰宅されるなり
ダイニングの椅子に腰を下ろされて
何やらため息をついていらっしゃいました

ーまったく…どこに行ったんだか
そうこぼしていらっしゃったのはドン様のことかと思われます
察するに、その夜は天様のところにいらっしゃるお約束でも
なさっていたのではないでしょうか

天様は携帯電話などを出したり引っ込めたりなさって
それでも操作なさることもなく
ずいぶんと長い間そこにおいでになりました

シャワーをお召しになって
幾分さっぱりなさったのでしょう
テーブルに、持ち運び可能なパーソナルコンピューターを出されて
何やらキィを叩いていらっしゃいました

最近は目も悪くなりまして、ベッドサイドのわたくしの場所から
画面上の文字などは全く見えないのでございますが

ホール…
あの会社か…
ふぅ…

わたくしには、天様のお独り言から何か察することは
残念ながらできかねましたけれど
とにもかくにも10分ほど操作をなさって
パタリと蓋を閉じられたかと思うと、頬づえをつかれて
また長い間何かを考えておられるようでした

いかほど経った頃でございますでしょう
家の外で騒がしい声がしたように思いましたら
ドン様がラブ様を伴われてご帰宅なさったのでございます

あ、勿論、わたくし、ラブ様にお会いするのは初めてですが
日々情報は入っておりますので
ひと目拝見しました時に、この方がラブ様だとわかりました

情報通りの方だとお見受け…あ、いえ、どのような情報かを
今申し上げるわけにはまいりませんよ
内情を申し上げれば…パ倫(パディ倫理協定)に抵触の恐れがございますので
手前勝手に詳細を漏らすわけにはまいりませんのです

とにかく情報通りの方だと感じました
敢えてひと言添えますれば…
聞いておりました以上に、女王の風格をお持ちのように
お見受けいたしましてございます

ドン様とラブ様は、喧嘩なさっているようにも
励まし合っているようにも感じられましたが
天様は…そうですねぇ…お気の毒と言う他はないくらい
それほどおふたりに「良いよう」にされてらして
ーまぁ満更お嫌そうでもございませんのですがー
いつものように微笑んでいらっしゃいました

その微笑みが消してしまわれたのは、深夜のことでございます

寝入ってしまわれたドン様を着替えさせて差し上げ
ラブ様に抱きつかれながら散々おねだりされ
結局お3人で床に入ることになったわけですが

あ…余談ではございますが
3人で眠ってらっしゃるご様子はちょっと可笑しゅうございますよ
ドン様が「やだもん!」などと寝言をおっしゃる度に
真ん中の天様は目を開けられて頭を起こされ、めくれた上掛けをお掛けになり
唇にキスをなさいます

次に、ラブ様が「もうバカなんだから!」などと寝言をおっしゃり
ガバと天様に抱きつかれますと
やはりそっと上掛けなどを整えて差し上げて、額にキスをなさいます
そのようなことが20分おきくらいに起こりますので
天様は大層お忙しいようにお見受けいたしました

しかし…あれでございます
その度にキスをして差し上げなくてもよろしいのではないかと
ついつい凡パディなわたくしなどは思ってしまうのですが
天使の業と言うものなのでございましょうね
頭の下がる思いでございます

そして、あれはもうかなり遅い時刻でございました
そうなるような予感はしておったのですが
ドン様が身体を返した拍子に、ゴロリと床に転がり落ちてしまわれました
幸いお怪我の様子はなかったようで…

何が起こったのかおわかりにならないドン様は
暫くペタリと床に座られてぼんやりなさっていましたが
ようやくご事情を察せられたのか
のっそりとお立ちになってキッチンに向かわれました

勿論、ラブ様に半身抱きつかれたまま眠っていらっしゃった天様が
そのご様子に気づかれないはずはございません

その日は、よほどお酒を召し上がられたのでしょうか
まだ少しフラフラとなさりながらも
キッチンでお水を2杯ほど飲まれたドン様は
ダイニングの椅子に腰掛けられて何度もため息をついていらっしゃいました

そしてずいぶん経った頃
先刻天様がお使いになっていらしたパーソナルコンピューターを開けられ
静かに操作なさり始めました

そうこうしますうちに楽曲が…
ほんの小さな音でございますが、聴こえてまいりました
最近の通信機器の機能は素晴らしいもので
音楽なども自由に聴くことができるようでございますね

その曲には憶えがございました
グスタフ・マーラー氏の交響曲でございます
イギリスでお仕えしていた頃によく耳にいたしました
その時分はレコードと言うものでございましたが

ごくごく小さな音量ではございますが
天使も眠る丑三つ時、冬の夜の空気に透るようなメロディは
わたくしのような者の心にも沁みるものがございます

薄暗い部屋、ドン様は曲をお聴きになりながら
先ほど天様がなさっていたように
頬づえをおつきになり、ぼんやりと物思いにふけっていらっしゃる

このような場合、普段の天様でしたら
まず間違いなくベッドを下りられてドン様の元へ行き
背中から抱きしめられて…
その後どうにかこうにかしてしまわれるものです

そうなさらなかったのは
ラブ様がいらっしゃったからだけではないと思われます
コマシキング(あ、これはドン様のお言葉でございますよ)の天様が
他の方がいらっしゃるくらいで
このような絶好のチャンスを諦めるようなことはございませんから

しかし、この時の天様は
ドン様の方をそっと伺っていらっしゃって…
そうでございますね…きっとドン様が液晶なるものの光に照らされ
少し唇を噛まれて考え事をなさっている横顔を
ご覧になっていらっしゃったのではないかと思われます
小さな音楽は、きっと天様のお耳にも届いていたものと思われます

なぜ、ドン様がその夜
その曲をお聴きになりたかったのかは計りかねますが…

ドン様はこの曲の歌詞をご存じなのでしょうか
…クラシックのお好きな天様は
おそらくご存知なのではございますまいか

信ぜよ、我が心、信ぜよ
何も失いはしない
おまえのもの、おまえの望んだものは全ては
おまえのもの、おまえが愛していたもの、おまえが鬪い得たもの全ては
信ぜよ、おまえはわけあればこそ生まれてきた
おまえはわけあればこそ生き、苦しみに堪えた

そんな一節があったように記憶しております
とても印象的でしたので…
ああ、お懐かしゅうございます

その後、天様は暫く暗い天井をじっと見つめられて
そして眉間に少し皺をお作りになって…目を閉じられました

ずいぶん経ちまして
ドン様はそっとベッドに戻っていらっしゃいました

上掛けの中で天様にまとわりついていらっしゃるラブ様の片腕と片足を
ムッとしたお顔でペンペンとどかされた時のドン様は
いつもと変わらないようにお見受けしました
ふくれ具合もちょうどよい具合だったと存じます

そのまま天様の片側に潜り込まれた時
天様は眠ったふりをなさりながら
腕に収まられたドン様の肩を抱きしめられました

ドン様の髪に顔を埋められる天様の
暗い空間に彷徨われた眼差しが印象的でございました

包む者の…寂しさとでも申しましょうか
これもまた天使の業の所以と言うものでございますのなら
何と切ないことでございましょう

一緒に住まない?

あのお言葉をもう一度口になさらなかった理由は…
いえ、余計な詮索は慎まなければなしません

このような場合
わたくしがして差し上げることは何もございません

ただ…またおふたりの笑い声を聞きとうございます
それだけを願う毎日でございます







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